敏兄ちゃん
敏兄ちゃん
私のおじさんです
お父さんの弟になります。
今回のお盆の帰省中になくなりました
まだ、57歳でした。
私と敏兄ちゃんの写真です。
私が初孫ということもあり、ほんとにかわいがってもらいました。
もちろん、チッチャイときの記憶はありませんが、おっきくなってからも
【りかちゃんりかちゃん】と呼んでくれて、チッチャイ時はあーだった、こーだった
かわいかったんやで、と話してくれました。
敏兄ちゃんは実家のちかくに一人ですんでました。
実家に帰ってるときとか、ちょくちょく遊びに来てはすぐ帰る、、、
やさしくて、ちょっとシャイなおじさんでした。
1.2年前に癌であることがわかり、手術をしましたが、すでに
転移もしていて、あまり長くは生きられないことを本人をはじめ
私たちにも教えられました。
手術後は一人で生活していました。
術後もよく退院して、家で暮らせていました
自分で、自分の寿命をしって生きる ってどんな感じだろう。
敏兄ちゃんはきっと色々考え、思い、悩み、苦しみ、
生活していたことでしょう。
私は何もできなかった。。。
あまり、考えてなかった。。。。
お盆に帰ったとき 敏兄ちゃんは入院してました。
しばらくは、元気にひとり暮らしもできていたのですが、8月の5日
お父さんに連絡があり、とてもしんどいので、入院したいとのこと・・
車で病院に行ってそのまま入院だったそうです。
お父さんは弟なだけに、言葉にはしないけど、とってもつらそうでした。
帰省して、一度お見舞いにおばさん(おじさんの妹)といきました
おばさんは【今日はスペシャルゲストつれてきたよ~】っ敏兄ちゃんにいいました。
敏兄ちゃんはいつものように、ちょっと恥ずかしそうに笑ってました
【リカチャンいつきたん?】いつもの会話・・・でも
場所は病院です。
ちょっとしんどそうでした。
それから、数日後です容態が急変したとの連絡が病院からあり、
急遽大阪に帰るのをやめて実家に居ると決めた8月15日
敏兄ちゃんは亡くなりました。
最後病院に駆けつけたときには、意識もなく、ただ、
【敏兄ちゃん敏兄ちゃん!わかる??】と、呼びかけることしかできず
後悔してももう、遅い・・・
でも、もう一回目をあけて、意識を取り戻してほしいと願い
何度も何度も呼びかけましたが、その後すぐに脈がなくなり、
息をひきとりました。
敏兄ちゃん、すごいね
もうすぐ、自分の命がなくなると知っていながら、毎日きちんときちんと
生活をして、自暴自棄になるわけでもなく、強く生きて・・・
なくなる前の日に家に甥っ子あてに戦車のおっきなおもちゃがとどきました。
通販で注文したのでしょう、受け取るときには自分はもう、病院にいる、
そして、今まで住んでいた家に帰ることはないと覚悟していたのでしょう。
自分の死をそこに感じながら、家族やまわりの人のことをやさしく思う。。。
敏兄ちゃんはほんとに優しい人です。
最後の最後に 人として、生きていくことの中で 大事なことを
教えてもらいました。
ブログに書こうかどうか迷いましたが、こんなすてきなやさしいおじさんが
私のそばにいてくれたこと、最後まで強くいきたおじさんに教えられたこと
忘れないように書くことにしました。
私も敏兄ちゃんのように強くやさしい人になれるように努力します。
敏兄ちゃん天国でゆっくりしてね。
私のおじさんで ありがとう。
最後に大事なことを教えてくれてありがとう。
さて、これからがんばろう。
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